差別と区別

私は差別主義ではないが区別主義者です。区別するからには何が差別で何が区別なのか、言葉の定義を明確にしておくことが非常に重要であると常々考えている。
同じ言葉を使っていても人それぞれ解釈やイメージするものが違うので、きっちり定義づけしておかなければ話が噛み合わない。

物事には例外があるし、白黒きっちり分けられるもののほうがむしろ少ないので、若干の余白は必要だろうが解釈に幅がありすぎるのは非常に問題であり、かえって紛争の原因になってしまう。きれいごとは排除し現実に即した判断に基づく言葉の定義をして共通の理解に基づく社会を構築していくべきだ。

広辞苑によれば「差別」は差をつけてとりあつかうこととあり、「区別」は違いによって分けることとあります。つまり、差別とは「同じものであるにもかかわらず差をつけてとりあつかうこと」ということになります。ですが「同じもの」のくくりをどう扱うかによって差別なのか区別すべき事柄なのか判断が違ってきます。
例えば「人種差別」と言った場合、通常肌の色の違いとそこから一般に連想される言動を忌み嫌い自分たちのコミュニティに参加させない行為となるわけだが、「同じ人間」という前提について考えてみる必要がある。

言うまでもなく現代において“人間”は「ヒト科ヒト族ホモ=サピエンス」の一種類しか存在していないとされているので「同じ人間」に間違いはないのですが、人種に明確な違いがあることもまた疑いようのない事実であり、外見、言語、歴史的文化的背景、価値観、生活様式等々まったく違うわけですから同じくくりで良いはずがない。
ここでは人種の中に“民族”も含むと定義しますが、私は人種区別するべきだと考えます。
法律の上に共産党や教義があったり、そもそも法令遵守の概念がない人種もいるわけで、そのような連中と同じ土俵(日本国内)で共存できるはずがない。“郷に入っては郷に従え”を理解できるのならともかく、多くの人種は我々ほど理性が発達していないのでそれを理解できない。

「共産党に日本人は殺していいと言われたので」実行した、とか「金がないので電線を引きちぎって売った」とか「性欲に駆られて子供をさらって犯しただけ、何が悪い?」といった連中を法で裁けず野放しにしていたら社会が崩壊してしまうことは小学生でも分かる。
ちなみに理性とは前頭前皮質が司るとされる、人間と動物を分け隔てる人間の脳の重要な機能の一つですが、多くの人種が我々と比較し理性が欠如していることが科学的に立証されている。理性が働かなければ暴力が全てであり最終的に殺し合う以外に決着の方法がない。実際に世界はそのように動いておりそれを何千年も続けている。

したがって、少なくとも我が日本国においては、ほとんどの人種を我々の社会に入り込ませないか、我々の社会に受け入れるのであれば我々の法律を厳格に適用し我々の慣習に従ってもらう、それができないのであれば直ちに強制送還する。あたりまえのことだ。理性に基づく健全な人間社会で生きていきたいと希望する人種の砦として、我が国が我が国としてあり続けることが地球に対する我々の責任といえるでしょう。

BL作家が摘発<中国、BL作家を一斉摘発 若者価値観に危機感か:山陽新聞デジタル|さんデジ
https://www.sanyonews.jp/article/1759094

されることもなく、ま、BLはともかく、表現の自由が保障されているのは世界広しといえども唯一我が国だけだし、多様性とかほざく偽善や偏狭者に言われるまでもなくとっくの昔から多様で自由な社会(あくまで社会に迷惑をかけず法律を逸脱しない範囲において)を確立しているのが我が国であり、本当に誇れることであるとしっかり自覚しておきたいと思う。

そのように健全な共通の価値観を共有している社会を確立しているにもかかわらず、我が国において人権とか差別とかジェンダーフリーとか言っている連中は、社会的弱者やマイノリティを盾にして自分たちに直接攻撃が及ばないようにした上で、我々の社会の混乱と破壊を目論み企てる薄汚い活動家たちなのだと認識しておくべきだ。

それらに翻弄されないために言葉の定義を明確にし、自分なりの考えを確立しておきたい。

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